今や看板と言えば大型看板や壁面看板をはじめ、分かりづらい場所に便利な突き出し看板、圧倒的な存在を感じさせる自立看板、夜間でもお店や会社をアピール出来る電飾看板まで、様々な種類の看板が存在し様々な場所で目にする事が出来ます。こちらではそんな看板の歴史について紹介します。

日本での看板のルーツ

奈良時代、まだ看板と呼ばれていたわけではありませんが、文献上で確認出来る最古の記述では、830年代にまとめられた「令義解」の一文に「凡市毎律立標題行名」とあります。これは「市で商いを行う際は標(しるし)立てて商品を示せ」という内容で、店名ではなく何を販売しているか目印を出すというものでした。
当時の平安京は東西両市が開かれており、織物や食品など様々なものが数多く扱われていたため、人々の混乱を避ける事を目的に導入されたと言われています。

目印から宣伝手段への発展

鎌倉末期になると屋号や商品名などが入っている簡板(かんばん)が出現し、現在の看板の原型により近いものが使われていきます。

江戸時代の中期に入ると商工業の急速な発展により、目印としての役割から商売における宣伝手段として発達していきます。そして庶民の識字率向上も手伝い、独自の表現方法や形態、豪華な装飾を施す事から「絵や文字を看せる板」として看板と呼ばれ、集客効果に大きな影響を与えていたそうです。

鎌倉末期

大きな発展を遂げる看板

明治時代に入ると西洋文化を積極的に取り入れた看板が出現します。布や板が主流だった日本の看板は、産業革命の影響もあり、使用される素材も豊富になっていきました。

また、印刷技術の発展によって文字のスタイルを変えたもの、カタカナやローマ字を使用したもの、目的に合わせた色彩やライトの導入など、広告媒体として大きく発展していきます。デザイン性はもちろん、使いやすさや耐久性など、日々看板のクオリティに高まりをみせています。

明治時代

一宮市で看板製作をお考えであれば、お気軽に当社までご相談下さい。岐阜県岐阜市に本社を構える当社では、お客様の目的と環境にとってより最適で効果的な看板のご提案と、様々なニーズにお応えした看板製作を行っております。一宮市だけでなく、名古屋市にも店舗を構えておりますので、お近くの「かんばんや勘吉」までご連絡下さい。